フリック・コレクションは、ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・イースト・サイドにある美術館です。この美術館は、実業家のヘンリー・クレイ・フリックの個人的なコレクションを、彼の邸宅だった館で展示しています。
フリック・コレクションは小規模ながらも、ブリューゲル、ベラスケス、レンブラント、フェルメール、ゴヤ、アングラー、ホイッスラー、エル・グレコ、ウィリアム・ターナーなど、ヨーロッパの近代絵画を中心に、彫刻・家具・陶磁器なども所蔵しており2、非常に充実した美術館として知られています。
1914年に落成したフリックの自邸は、彼の死後の1935年に美術館として第二の人生を踏み出しました。フリック自身は邸宅が公共の美術館とその収容作品として利用されることを意図していたと言われています。
作品名 | 恋人の戴冠 |
作者 | ジャン・オノレ・フラゴナール |
制作年代 | 1771年−1772年 |
寸法 | 317.5 x 243.8 cm |
木や花で飾り立てられた庭園の中、恋の実りを示す儀式を行う恋人たち この『恋人の戴冠』は、まるで二人の甘い息遣いまで聞こえてくるかのようです。ロココを代表する画家フラゴナールが、円熟期に入った40歳頃に描いた連作『恋の成り行き』の一枚です。
30代半ば、神話や英雄を題材とする歴史画の制作から離れ、美術アカデミーとも決別したフラゴナールは、貴族や裕福な市民たちからの注文に応じて、もっと官能的な作品に専念するようになります。そして1767年、健康的な官能美に満ちた名画「ぶらんこ」で、人気画家としての地位を確固たるものとしました。
その4年後に画家がルイ15世の愛妾デュバリ 夫人から、パリ郊外ルーヴシエンヌに建設する新しい館のために依頼され、描いたのが連作『恋の成り行き』であす。 フラゴナールは若い男女の恋物語を4枚のキャンバスに描き出し、その中でも『恋人の戴冠』には、恋の実りの場面が甘美な色彩で描かれました。 しかし、この連作はデュ・バリー夫人の館に一時飾られたものの、返却されてしまいます。
1748年に始まったポンペイ遺跡発掘によって高まった古代ギリシア・ローマへの憧れは、新古典主義という新しい芸術様式を生み出しました。 その新様式で造られた夫人の館は、画家の絵とは全く趣が異なっています。軽やかなロココから重厚な新古典主義へ、「時代の趣味」は確実に変化しています。
この名画が再び注目されたのは、19世紀後半です。鉄鋼王ヘンリー・ クレイ・フリックは1915年に『恋の成り行き』の4点連作を、125万ドルで購入しました。作品を飾る部屋も500万ドル以上をかけて改築しました。
作品名 | 自画像 |
作者 | レンブラント・ファン・レイン |
制作年代 | 1658年 |
寸法 | 133.7×103.8cm |
レンブラントは1625年頃に画家としての道を歩み始め、1669年に亡くなるまで、自分自身を油彩で描いた作品が50点以上あります。
これらは、華やかな時代から経済的に困窮した晩年に至るまで、波乱に満ちた人生を送った画家の心の変化を示しています。
この自画像は画家が52歳の時のもので、この年は財産や家を競売にかけられるなど、平穏な暮らしとはほど遠い状態でした。
鋭い眼差しと固く閉じた口元が、困難に立ち向かい孤高の画家の内面を鮮やかに捉えています。
作品名 | ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像 |
作者 | ドミニク・アングル |
制作年代 | 1845年 |
寸法 | 131.8 × 92 cm |
この絵画は、アングルが「我らが愛しのおてんば伯爵夫人」と呼んだ女性を描いています。彼女は社交界の花形であり、作家のスタール夫人の孫娘でした。
アングルは考え込むようすの夫人を描いており、鏡に映った彼女の後ろ姿を取り込むことで絵全体に奥行きを与えています。彼は伯爵夫人の生き生きとした表情や雰囲気、仕草にはそれほど関心を向けてはいません2。むしろ冷たいくらいに人間的な感情や情緒の表現を拒絶したかのようにも思えます。
しかし、この絵画はよく見るとアングル一流の冴えた技が至る所に隠されているのです。特に周到に練られているのは構図でしょう1。画面を縦横に三分割する構図と、センターに拡がる三角形の構図がまず目を惹きます。これら2つは鉄壁の安定の構図と言われており、スッキリとして静謐な感じが漂うのはそのためなのです。
また、熟考された色彩配置も見事です。彩度をできるだけ抑えた室内の空間は静寂感に漲り、また比較的彩度を抑えたドレスは格調高い雰囲気を醸し出しています。そして、このずば抜けた色彩の温度感覚や彩度の対比の的確さは夫人の頭の赤いシュシュを強烈に印象づける効果をも生み出しています。
全体を見渡すと、彩度をできるだけ抑えた色調はしっとりと絵に馴染み、人物を引き立てていることが伝わってきます。