ボストン美術館は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市にある、全米有数の規模を持つ美術館です。
この美術館は、1870年に地元の有志によって設立され、アメリカ独立百周年にあたる1876年に正式な形で開館しました。
所蔵品は50万点を数え、「古代」、「ヨーロッパ」、「アジア、オセアニア、アフリカ」、「アメリカ」、「現代」、「版画、素描、写真」、「染織、衣装」および「楽器」の8部門に分かれます。
特に古代エジプト美術やフランス印象派絵画などが充実しています。
また、日本との関係も深く、仏画、絵巻物、浮世絵、刀剣など日本美術の優品を多数所蔵しています。
作品名 | 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか |
作者 | ポール・ゴーギャン |
制作年代 | 1897年 - 1898年 |
寸法 | 139.1 × 374.6 cm |
「もうこれ以上は無理だ。完成してないと言われるかもしれないけど、私にはこれが精一杯だ」
1897年のクリスマス。南太平洋タヒチ島で、ゴーギャンは休む間もなく絵を描き続けた。横374cm、縦139cmの大きなキャンバスには、人間の存在の意味を問う”楽園図≠ェ描かれていた。数日後、彼は一人で森に入った。毒薬を持って……。 後期印象派の画家ゴーギャンは、6年前にタヒチ島を訪れていた。自分の芸術のために家族を捨てて、ゴーギャンは現代文明から離れて、原始≠フ島で暮らす人々の姿を描いていた。魂の救済を求め、画家としての夢を抱いて……でも2年後にヨーロッパに帰ったゴーギャンを待ち受けていたのは、批判ばかりだった。
画壇から孤立し、病気に苦しみ、貧しくなったゴーギャン。タヒチに戻っても、ゴーギャンは生きる気力をなくしていた。そして、最後のショックを与えた一通の手紙。それは大切な娘アリーヌが亡くなったという知らせだった。愛娘と永遠に別れ「これからどうやって生きればいいんだ。死神しか見えない。神なんて信じられない」
深い孤独に苦しみながら最後の作品としてこの絵を描いたゴーギャンは、森で砒素を飲んだが、吐き出してしまい、自殺は失敗した。神は、死すらも彼に与えてくれなかった。
「われわれは何処から来たのか?」 ゴーギャンの魂の叫びが、永遠の問いかけとなって残る。
作品名 | ラ・ジャポネーズ |
作者 | クロード・モネ |
制作年代 | 1876年 |
寸法 | 231.6 × 142.3 cm |
扇を持ち、金の刺繍が施された着物を着た西洋女性が壁に立っている。
壁には、団扇が飾られている。1876年の第2回印象派展で出品された作品の中で、この作品だけが高い値段で売れたことから、当時の日本ブームがわかる。
モデルはモネの妻のカミーユである。カミーユは、夫の成功を見ることなく、1879年、32歳で貧しい生活の中で亡くなった。
作品名 | エドワード・ダーレイ・ボイトの娘たち |
作者 | ジョン・シンガー・サージェント |
制作年代 | 1882年 |
寸法 | 222.5 × 222.5 cm |
アメリカ生まれの画家サージェントは、パリで絵を勉強し、 1884年からはロンドンに住み、肖像画家として上流階級から注目を集めた。
この作品は、 ボストン出身で裕福な友人のパリの家で、その娘たちを描いたもの。
背景の黒い暗闇が、 少女たちの表情や白い服を際立たせている。