ヴェルサイユ宮殿美術館で見ることができる有名な作品を紹介

ヴェルサイユ宮殿美術館で見ることができる有名な作品を紹介

 

 

ヴェルサイユ宮殿美術館は、フランスのパリ郊外に位置するヴェルサイユ宮殿内にある美術館です。この美術館は、16世紀から19世紀までのフランスの歴史を代表する逸品がコレクションされており、宮殿、庭園、グラントリアノン、マリー・アントワネットの離宮に展示されています。

 

美術館のコレクションは、フランスの歴史を形成した偉大な人物や出来事についての歴史的および象徴的な洞察を提供することを目的としています。主に16世紀から19世紀までの彫刻や絵画が含まれています。

 

また、ヴェルサイユ宮殿美術館は19世紀に美術館に改装され、内部の美しい調度品や絵画が市民に公開されています。これらの展示品は、エッフェル塔やルーブル美術館と並ぶフランスの観光名所となっています。

 

ヴィジェ・ルブラン「薔薇を持つマリー・アントワネットの肖像」

 

作品名 薔薇を持つマリー・アントワネットの肖像
作者 エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン
制作年代 1783年
寸法 113 cm × 87 cm

 

フランスの首都パリから南西に位置する、華麗なヴェルサイユ宮殿の庭園内に、離宮プティ・トリアノンという建物があります。そこには、ブルボン王朝最後の輝き、王妃マリー・ア ントワネットが、28歳の時に描かせた自画像が展示されています。

 

この作品の作者は、王妃 「お気に入り」の画家エリザベート・ヴィジェ・ルブランである。 この自画像は、27歳でアカデミー正会員になった年に、 ヴィジェ・ルブランがサロン(官展)に出品したものです。 最初画家は、 最新のファッションをまとった「シュミーズ・ドレスを着たマリー・アントワネット』 という作品を制作しました。しかし、その絵が「下着姿の王妃」と批判されたため、改めてこの作品を描きました。

 

1755年に肖像画家の家庭に生まれたヴィジェ・ルブランは、12歳で父親を 亡くしますが、父親の画家仲間の紹介で、10代で早々と人気肖像画家となりました。 そして、21歳で絵商ジャン・バティスト・ピエール・ルブランと結婚。 同年には王弟のプロヴァンス伯爵の肖像画を制作するなど、若く、美しく、 才能豊かな女性画家としてのキャリアを着実に築いていきます。

 

ロココ文化が色あせていく時代において、モデルの姿を正確に写したヴィジェ・ルブランの肖像画は“新鮮”であり、同時にその写実性は、次世代の新古典主義の到来を予感させるものでした。

 

同年代の王妃と画家は、1779年に出会ってから、親密な友人となり、 フランス革命勃発までの10年間に30枚近くの王妃の肖像画が誕生しました。 こ の一枚は、悲惨な運命を迎える前の王妃の姿を美しく描いた傑作です。

 

 

ドラクロワ「タイユブールの戦い」

 

作品名 タイユブールの戦い
作者 ウジェーヌ・ドラクロワ
制作年代 1837年
寸法 489×554cm

 

ウジェーヌ・ドラクロワの『タイユブールの戦い』は、1242年7月に行われた英仏戦争の一環として行われた戦闘を描いた絵画です。この戦闘では、ルイ九世率いるフランス軍が、ヘンリー三世率いるイギリス軍に勝利しました。

 

この絵画は、その勝利を記念する形で描かれました。フランス王ルイ・フィリップは、ヴェルサイユ宮殿内に歴史博物館を作り、そこにフランスの軍事的勝利を記念する歴史画を飾ることを目的として、1834年から翌年にかけて、多くの画家たちに制作を命じました。

 

ドラクロワには、タイユブールの戦いでの勝利を割りあてられました。戦いの場面は、7月21日の、シャラント川にかかるタイユブール橋での攻防の様子を描いています。中央に馬に乗って橋を突破したルイ九世の凛々しい姿が描かれ、その周囲にフランス兵やイギリス兵がもつれあって戦う姿が描かれています。

 

その描写は極めて迫真的であり、ルーベンスの神話画「アマゾンの戦い」の影響が指摘されています。背景を暗くしていることで、光のあたった人物が浮き上がって見えます。色彩は暖色主体で豊穣さを感じさせます。

 

シャルル・ル・ブラン 「国王の親政」

 

作品名 国王の親政
作者 シャルル・ル・ブラン
制作年代 1679~84年
寸法 385×343cm

 

ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」の天井に描かれた壮大な絵画の中心部には、ルイ14世の親政開始の場面がル・ブランという画家によって描かれています。

 

マザランという摂政が亡くなった後、王は自ら政治を行うことを決めた。

 

王は子供たちがカードやチェスで遊んでいるのを無視して、栄光の女神から王冠を受け取ります。

 

この若い王の姿は、国家を発展させた偉大な王に対する賛美の意味があります。