オルセー美術館は、フランスのパリにある19世紀美術専門の美術館で、印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで有名です。この美術館の建物はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅の鉄道駅舎兼ホテルでした。
オルセー美術館は、原則として1848年の2月革命から1914年の第一次世界大戦開戦までの作品を展示しています。それ以前の作品はルーヴル美術館に、以降の作品はポンピドゥー・センターに展示されています。絵画、彫刻だけでなく、写真、グラフィック・アート、家具、工芸品など19世紀の幅広い視覚芸術作品も収集・展示の対象になっています。
また、オルセー美術館では印象派やポスト印象派など19世紀末パリの前衛芸術のコレクションが世界的に有名ですが、19世紀の主流派美術で後に忘却されたアカデミズム絵画(アール・ポンピエ)を多数収蔵・展覧し、その再評価につなげていることもこの美術館の重要な活動の側面です。
作品名 | 日傘の女 |
作者 | クロード・モネ |
制作年代 | 1886年 |
寸法 | 131 cm × 88 cm |
夏の草原に降り注ぐ日差しの中、白いドレスを着た女性がパラソルをさして立っています。そよ風が吹くたびに、野の草がゆらゆらと揺れ動き、首に巻いたスカーフがふわりと舞っている・・・・・・
19世紀後半から20世紀初めにかけて、フランスで印象派の画家として名を馳せたクロード・モネ。
彼の代表作のひとつである『日傘の女』は、溢れんばかりの光と色で満ちており、まるで息づいているかのような生き生きとした名作です。
モネは自然の中で絵を描くことにこだわり、一生涯をかけて、移りゆく光を捉えようと挑戦しました。
この作品を描いた時、彼は46歳でした。
1874年 第1回印象派展から12年後のことです。
モデルは、当時、モネ家族と同居していたオシュデ夫人アリスの娘シュザンヌでした。
しかし、描かれた娘の顔は、光に包まれてしまっています。
実は11年前、30代のモネはほぼ同じ構図で『日傘の女』を描いています。
そのモデルは、モネの愛する妻カミーユでした。
カミーユは、「売れない画家」モネを支え、貧しい日々を共に過ごしてきました。
カミーユは、その絵が完成した4年後、病気で亡くなりました。
妻が死ぬまで絵筆を手放さず、その死顔を描き続けた画家は、その後も孤独に耐えながら、色彩豊かな印象派の世界を追求し続けました。
そしてある日、モネは再び『日傘の女』を描くことを決めました。
「人物画も風景画みたいに描きたい・・・・・・」草木が陽光や風によって刻々と表情を変えるように、風景の一部として『日傘の女』を描いたモネ。
それは、従来の肖像画とは全く異なる、新しい人物画の誕生を意味していました。
妻への想いを込めて描いたとも言われる『日傘の女』は、画家自身が人生を賭けて追求した印象派絵画にとっても、記念碑的な作品となりました。
作品名 | ムーラン・ド・ラ・ギャレット |
作者 | ピエール=オーギュスト・ルノワール |
制作年代 | 1876年 |
寸法 | 131×175cm |
パリのモンマルトルというにぎやかな街にあるダンスホール、ムーラン・ド・ラ・ギャレットで楽しく踊る人々の姿を描いた絵画です。
この絵を描いたルノワールは、この場所の近くに住んでいて、絵を描くときにはアトリエからキャンバスを持ってきて、その場で描いたそうです。
この絵に出てくる人たちは、ルノワールの友だちや知り合いで、彼らの自然な表情や動きが生き生きと描かれています。
印象派の画家として有名なルノワールは、光の効果にとても興味がありました。
そのため、服やグラスに反射する光の描写にも工夫が見られます。
明るく華やかな色使いは、若い人たちの気分のよさや楽しさを感じさせてくれます。
作品名 | 蛇使いの女 |
作者 | アンリ・ルソー |
制作年代 | 1907年 |
寸法 | 169×189cm |
税関で働いていた素朴派の画家アンリ・ルソーは、夢のような作品で知られています。
ルソーは実際には外国に行ったことがなかったのですが、自分の想像力で異国情緒あふれる風景をたくさん描きました。
63歳のときに描いたこの絵では、月明かりに照らされた女性が笛を吹いて、蛇がその音色に魅了されている様子が静かに表現されています。
「旧約聖書」に登場する、蛇がイヴを誘惑するエピソードを思い出させますが、ここではイヴが蛇を操っているようにも見えます。
この絵には不思議な雰囲気が漂っています。
右側に咲く異様に大きな花や、左端の鳥は子供の絵本から写したと言われています。
これらもルソーならではの個性的な要素です。
作品名 | ミューズたち |
作者 | モーリス・ドニ |
制作年代 | 1893年 |
寸法 | 171.5×137.5 cm |
この絵に描かれているのは、古代の神殿を思わせるマロニエの木の下でくつろぐ9人の女性たちです。しかし、彼女たちはただの女性ではなく、それぞれに詩や歌など、様々な芸術を司るギリシア神話の女神(ミューズ)です。
そして、驚くべきことに、この9人の女神のモデルは、全て画家ドニの妻マルトです。『ミューズたち』は、1893年に23歳の若さで描かれたドニの代表作であり、彼が提唱した新しい美術理論≠フ実践例でもあります。
ドニは、1892年にゴーギャンやボナールらと「ナビ派」を結成し、「美しく感じるものを自由に描こう」というスローガンのもとに、装飾性や色彩感覚を重視した作品を制作しました。『ミューズたち』もその一つであり、柔らかな曲線や絨毯の模様、葉影などが織りなす装飾的な効果が見事に表現されています。
また、ドニは「絵画とは、ある一定の秩序でまとめられた色彩によって覆われた平面である」という名言を残し、遠近法や写実性などを無視した平面的な画法を採用しました。
これは、ルネサンス以来の絵画伝統に対する挑戦であり、後にキュビスムやフォーヴィスムといった20世紀絵画の先駆けとなりました。