リヨン美術館(Musee des Beaux Arts de Lyon)は、フランスのリヨンにある美術館で、フランス国内でも規模の大きな美術館のひとつです。
この美術館は、17世紀に建てられた元々はダム・ド・サン・ピエール王立大修道院として使われていた建物を利用しています。フランス革命後に国内15の都市に絵画コレクションを設けるというジャン=アントワーヌ・シャプタルの政令を受け、この建物の中に美術館が設けられ、1803年より絵画コレクションが一般に公開されるようになりました。
70の展示室には古代エジプトや古代ギリシアの美術品、新古典主義やロマン主義の作家たちの彫刻、ゴシック様式の絵画から19世紀までのイタリア、フランス、オランダ、フランドルの作品、またリヨン派の作品等を所蔵しています。
作品名 | カフェ・コンセール:アンバサドール |
作者 | エドガー・ドガ |
制作年代 | 1876-1877年 |
寸法 | 37 cm × 27 cm |
1874年、パリの賑やかなカピュシーヌ大通りにある写真館で、画壇の歴史を変える展覧会が催されました。この展覧会は後に「第1回印象派展」と呼ばれるようになりますが、そこには宗教や歴史ではなく、現代の日常の風景にテーマを求めた、新しい時代の新しい画風が紹介されていました。
「新しい時代の美の創造」を信条に、若きモネやルノワールが集まった中に、彼らより6、7歳年上のエドガー・ドガも参加していました。
2年後、新しい題材、新しい技法を探していた32歳のドガは『カフェ・コンセール アンバサドゥール』を完成させます。豪華な飾りのついた流行りの帽子をかぶった婦人。その前方の楽団席。そして、華麗な舞台の上で、熱く歌う歌手......。シャンゼリゼ地区という一等地に位置する人気のカフェ・コンセールの一夜の姿でした。
19世紀後半、電灯の普及によって、夜のパリは暗闇から解放され、キャバレーやナイトクラブといった施設が次々と誕生しました。パリ生まれパリ育ちの純粋なパリジャンであるドガは、この街の変化を早くから感じ取り、流行の最先端を行く夜の社交場の光景に、現代の美を発見しました。
ドガはその現代の美を、「モノタイプ」というほとんど一枚しか刷れない版画に、棒状の固形絵具であるパステルで色付けするという、画期的な方法で表現しました。
この作品は、ドガが「色彩で線を描く」という理想を実現したものです。同時に、印象派の画家として新しい時代の美の創造に情熱を注いだドガの、青春の証でもありました。
作品名 | 死の床のマルクス・アウレリウス |
作者 | ウジェーヌ・ドラクロワ |
制作年代 | 1844年 |
寸法 | 260 cm x 348 cm |
ロマン主義の画家として知られるドラクロワは、ダヴィッドの作品「ソクラテスの死」に影響を受けて、ローマ帝国の哲学者皇帝マルクス・アウレリウスの最期の場面を描いています。
枕元に立つ息子コンモドゥスの顔には、父親が亡くなった後に残忍な行動に走ることを示唆する邪悪な表情が描かれています。
偉大な人物の死に臨む場面は、新古典主義の画家たちが好んで取り上げた教訓的な主題です。
ドラクロワもこのような主題を選んだことで、新古典主義とのつながりを示しています。
作品名 | キリストの怒りから世界を守る聖ドミニクスと聖フランチェスコ |
作者 | ピーテル・パウル・ルーベンス |
制作年代 | 1618年 |
寸法 | 565 cm x 365 cm |
この作品は、ローマに滞在していた聖ドミニクスが、3本の矢を持ったキリストの幻を見たという伝説に基づいて作られたものです。
キリストは、人類の高慢・貪欲・肉欲を罰するために、矢を射ようとしています。しかし、聖母は、黒い服の聖ドミニクスと茶色の服の聖フランチェスコに、従順・清貧・童貞の徳を示し、世界を救うように頼んでいます。
キリストと聖人たちが天と地に分かれて配置された構図は、作品に強い対比と緊迫感を与えています。