ヴァルラフ・リヒャルツ美術館(Wallraf-Richartz-Museum)は、ドイツのケルンにある美術館で、中世から近代までの美術品を所蔵しています。
美術館の始まりは、1824年にケルンの大司教などを務めた、ヴァルラフ(Ferdinand Franz Wallraf)が遺言で自分の邸と集めた美術品などをケルン市に寄付したことに始まり、1827年にヴァルラフ邸は公開されるようになりました。
美術館では中世絵画、特にシュテファン・ロッホナーによって最盛期を迎えたケルン派(13世紀から16世紀の宗教画)の作品やアルブレヒト・デューラーの『ヤーバッハ祭壇画』などのルネサンス芸術、ルーベンスの『聖家族およびエリサベツと洗礼者ヨハネ』やレンブラントの『ゼウクシスとしての自画像』を始めとするバロック絵画、19世紀に入ってロマン主義や印象派、ポスト印象派、20世紀初頭のドイツ絵画を擁しています13。
作品名 | 薔薇垣の聖母 |
作者 | シュテファン・ロッホナー |
制作年代 | 1440年 - 1442年頃 |
寸法 | 51 cm × 40 cm |
神の加護を受けた楽園で、百合と薔薇が美しく咲いている。その中で聖母マリアは幼子イエスをひざに抱き、穏やかに座っている。
聖母の優しい眼差しとイエスの愛らしい姿は、見る者を神への敬虔な祈りに導く・・・・・・。
「薔薇垣の聖母」は、画家シュテファン・ロホナーが晩年に描いた傑作であり、 細やかで優美な描写と鮮やかな色彩で、「国際ゴシック様式」と呼ばれる15世紀前半までのヨーロッパ美術の主流だった美意識の集大成でもあります。
ロホナーはボーデン湖畔の町に生まれ、ネーデルラントで修行した後、油彩技法を確立したヤン・ファン・エイクらの画期的な絵画に触れて帰国しました。 1442年、40歳代でケルンに拠点を移した。当時のケルンは宗教都市としても商業都市としてもドイツ最大の繁栄を誇っており、中世美術の伝統が根強く残る一方で、フランスやイタリアから宮廷文化が流入し、芸術都市としても発展していました。
この街でロホナーは国際ゴシック様式の代表的な画家として活躍し、市議会礼拝堂の祭壇画(現在は大聖堂祭壇画)などを手がけました。この作品は彼がその画業の最晩年に描いたものです。
ドイツが国際ゴシック様式に酔っていたこの時代、フィレンツェでは人間賛歌を歌うルネサンスが花開いていた。それに敏感に反応したロホナーは、「薔薇垣の聖母」に流麗な曲線と鮮やかな色彩だけでなく、人間味あふれる表情をした聖母子像を描き込みました。
この名画によってロホナーは、デューラーによって始まるドイツ・ルネサンスへと続く道筋を示したのです。
作品名 | ハンプトン・コートの橋 |
作者 | アルフレッド・シスレー |
制作年代 | 1874年 |
寸法 | 45.5×61cm |
1874年に第1回印象派展に出品したシスレーは、その後イギリスに渡りました。
彼は7月から10月までロンドンに滞在し、テムズ川沿いのハンプトン・コートを多くの作品の題材にしました。
この場所は、鉄道が開通してからロンドン市民の行楽地となり、川で泳いだりボートに乗ったりする人が多かった。
この絵は、橋の南側にあったキャッスル旅館のテラスから見た風景で、休日を楽しむ人々の姿が、鮮やかに描かれています。
作品名 | 聖家族と聖エリサベツと洗礼者ヨハネ |
作者 | ピーテル・パウル・ルーベンス |
制作年代 | 1634年頃 |
寸法 | 121×102.5cm |
ルーベンスは最愛の妻を失った後、 1830年に再び結婚しました。
50代後半の画家は、晩年の10年ほどを幸せな家庭生活と創作活動に費やします。
この作品には、幼いイエスと聖母、父親の聖ヨセフ、幼い洗礼者聖ヨハネとその母親の聖エリサベツが描かれています。
画家の心からの喜びが溢れ出ているのがわかります。
柔らかく調和する色彩が、 感動的な情感を醸し出しています。