オーストリア・ギャラリー、またはオーストリア絵画館(Osterreichische Galerie Belvedere)は、オーストリア・ウィーンのベルヴェデーレ宮殿内にある美術館です。
この美術館は、ハプスブルク家に仕えた貴族オイゲン公が建てた夏の離宮で、その上宮アッパーベルベデールに開設されています。
コレクションは、19世紀の世紀末芸術からウィーンにおけるアールヌーボー「ユーゲント・シュティール」の作品を中心に、中世・バロックから21世紀の作品まで広範に含みます。
作品名 | 接吻 |
作者 | グスタフ・クリムト |
制作年代 | 1907 - 1908年 |
寸法 | 180 × 180 cm |
女性は男の腕に包まれて目を閉じ、幸せそうに微笑んでいる。 だが、彼女の足下には断崖絶壁が広がり、この快楽は一瞬で終わることを暗示する。 それゆえに美しいのかもしれない。
画家は金色の光に彼らの至福の瞬間を閉じ込め、生と死の境界にある肉体の悦びに美学を見出した。 ウィーン世紀末の画家クリムトが、その代表作「接吻」を発表したのは、1908年、46歳のときだった。
「時よ止まれ。お前は美しい」とゲーテがファウストに言わせたように、19世紀末から20世紀初頭のヨーロッパでは、「永遠」を求めるムードが高まっていた。
1900年にフロイトが『夢判断』を、1905年にアインシュタインが「特殊相対性理論」を発表した。 キリスト教的権威や絶対君主制が崩壊し、科学が急速に進歩する時代において、人々は価値観の変化に直面していた。
クリムトもまた、それまでタブーだった官能の世界を描き出し、人間の本性を探求した。
1862年、金細工師の家に生まれたグスタフ・クリムト。 26歳で皇帝から金十字功労賞を受けたこの天才は、35歳のときに「分離派」を結成し、アカデミーから離反した。
その後10年ほどで『接吻』を完成させた。
この作品は発表されるやいなや政府に買い上げられ、当時の近代美術館に収蔵された。 クリムトが「ウィーン世紀末」の代弁者で あることを、万人が認めた一枚でもある。
作品名 | 歓喜 (「ベートーヴェン・フリーズ」部分) |
作者 | グスタフ・クリムト |
制作年代 | 1902年 |
寸法 | 全体215×3414cm |
1902年の 「分離派」の第14回展覧会は、 彫刻 家クリンガーの「ベートーヴェン像』の完成 を祝う会だった。
クリムトはベート ーヴェンの第9交響曲からインスピレーションを得て、 「苦悩から歓喜へ」 というテーマの壁画で会場を飾った。
だが、この作品は楽聖ベートーヴェンを侮辱していると批判され、3年後、 クリムトが分離派を離れる原因ともなった。
抱き合う男女は、 「接吻」の原型となった。
作品名 | 家族 |
作者 | エゴン・シーレ |
制作年代 | 1918年 |
寸法 | 150 × 160 cm |
妻エディットが妊娠したことを知ったシーレが描いた、家族の肖像画。
だが、題名は死後に付けられたもの で、シーレは自分の家族を意図してはいなかった。
それぞれ別の方向を見る3人の視線に、家族のあり方に戸惑うシーレの心情が伺えるようだ。