リスボン国立古美術館(Museu Nacional de Arte Antiga)は、ポルトガル・リスボンにある国内で最も重要な美術館です。この美術館は1883年に設立され、ポルトガル最大規模を誇ります。
美術館の建物は18世紀からある伯爵の住居を利用したもので、かつては修道院でもありました。また、1940年に設置された別館もあります。
美術館には、絵画、彫刻、金属細工、織物、家具、デッサンなどの収蔵品が展示されています。これらのコレクションは12世紀から19世紀初期までの作品で、特に大航海時代の影響を受けた展示品や芸術作品が多く収蔵されています。
作品名 | 聖アントニウスの誘惑 |
作者 | ヒエロニムス・ボス |
制作年代 | 1501年頃 |
寸法 | 238 cm × 131.5 cm |
黒い修道服を着てひざまずき、右手で十字架を描く聖アントニウスの正面に、恐ろしい地獄の光景が広がっている。
聖人の目の前には、胴体がなくても生きている怪物が睨みつけている。
そのすぐ後ろでは、豚の顔をした司祭が内臓を剥き出しにされながらも、黒魔術の書物を読んでいる。
あらゆる方向から聖人に迫る悪霊や化け物。
しかし、どんな誘惑や恐怖にも屈しない聖アントニウスは、祈りを捧げ続け、何か訴えかけるように、見る者と目を合わせる。
この『聖アントニウスの誘惑』をボスが手がけた1500年ごろは、千年紀の真ん中で、「ヨハネ黙示録」に予言された世界の終わりが近づいていると信じられていました。
中世の終わりにかけて、東方ではイスラム教徒が勢力を拡大し、西方では新大陸が発見されました。
これらの出来事は、古い世界の崩壊の兆しとして人々に不安を与えます。さらに、「地獄の火」と呼ばれた疫病による恐ろしい病気が蔓延し、人々は末世の恐怖を実感した。
人々が心の支えとしていた教会も、教皇エウゲニウス4世自らが「教会に健全な部分は何もない」と嘆くほどに、堕落や腐敗していました。
教会や聖職者に失望した人々は、厳しい修行を行い、神と人々に奉仕した聖人に救いを求めました。信心深いカトリック教徒だったボスは、この作品で、淫らで邪悪な世相を見つめ、現実を怪物の世界に置き換えて、鮮やかな色彩で描き出しました。
そして、悪魔と戦って勝利した聖アントニウスに、末世からの救済を託したのでした。
作品名 | 書斎の聖ヒエロニムス |
作者 | アルブレヒト・デューラー |
制作年代 | 1521年 |
寸法 | 48 cm |
この作品は、デューラーが1520年から1521年にネーデルラントに滞在した際に、主題の聖ヒエロニムスを描くために地元の老人をモデルとして制作されました。ウィーンのアルベルティーナには、男性の年齢(93歳)の注釈が付いた準備素描があります。
画家は、1521年3月、ネーデルラントのポルトガル貿易使節団の団長であるロドリゴ・フェルナンデス・デ・アルマダに本作を寄贈しました。その後、作品は家族のコレクションに留まり、1880年に現在の所蔵先であるポルトガルのリスボンにある国立古美術館に寄贈されました。
この作品は、僧房のような空間で書き物をしている聖ヒエロニムスが描かれています。衣服、老人の肌、手前の髑髏、インク壺、書見台、および左上の十字架などには細部描写が見られます。それらの材質感の表現は、デューラー自身が「丹念に描いた」と日記に記しているだけあって、初期フランドル派美術の細部表現にひけをとりません。
また、鑑賞者を見つめる老人は死について瞑想しており、頭蓋骨の上に置かれた指がメメント・モリ(死を忘れるな)を意味しており、関連する重要な死の示唆がなされています。この作品はデューラーが聖ヒエロニムスを描いた作品中で肖像画に類似したものであり、詳細な研究のための余地がほとんど残っていません。
作品名 | サンヴィセンテ・デ・フォーラの多翼祭壇画 |
作者 | ヌーノ・ゴンサルヴェス |
制作年代 | 1470−80年 |
寸法 | 左から207×60.5cm 207×60.5cm 207×128.5 cm. 207.5X128.5cm, 206.5x60.5cm, 206.5X64cm |
ゴンサルヴェスはポルトガルの王宮でアフォンソ5世に仕える画家で、ジョアン2世の時代にコロンブスが新大陸を発見した1492年に死去したとされています。
この祭壇画は6枚のパネルで構成され、1882年にリスボンのサンヴィセンテ・デ・フォーラ修道院で見つかり、ゴンサルヴェスの作品だと判明しました。
北方絵画の手法や色使いが見られる細密な写実表現が特徴的です。
パネルに描かれた人物の多くは宮廷人がモデルで、左から3枚目のパネルでは、聖人の前でひざをつくのは画家の後援者でもあったアフォンソ5世王です。