サンパウロ美術館で見ることができる名画を紹介

サンパウロ美術館で見ることができる名画を紹介

MASP Sao Paulo (cropped)

 

サンパウロ美術館(Museu de Arte de Sao Paulo)は、ブラジルのサンパウロにある、南半球屈指の美術館です。

 

この美術館は、中世から現代に至る各時代の西洋美術の名品を数多く収蔵しています。アメリカ合衆国およびヨーロッパの美術館以外で、これほど質が高くまとまった西洋美術のコレクションを持つ美術館は他になく、そのために「奇跡の美術館」と称されています。

 

1947年に設立されたこの美術館は、正式名称をMuseu de Arte de Sao Paulo Assis Chateaubriand(サンパウロ・アシス・シャトーブリアン美術館)といいます。アシス・シャトーブリアン(1891−1968)はブラジルの新聞王と呼ばれた実業家で、彼の美術コレクションは第二次世界大戦前後のごく短い期間に集中的に形成されました。

 

収蔵作品は、中世からルネサンス、バロック、ロココ、印象派、現代まで、地域的にはイタリア、フランス、オランダ、フランドル、スペイン、イギリスなど、各時代各地域の美術史が一通りたどれるような質・量のものが集められています。

 

アメデオ・モディリアーニ『ズボロフスキーの肖像』

 

作品名 ズボロフスキーの肖像
作者 アメデオ・モディリアーニ
制作年代 1919年
寸法 107 x 66 cm

 

卵のように伸ばされた顔の形、体の曲線や柔らかさが感じられるシルエット。 画面は余分な線を省いてシンプルに描かれています。 その特徴的な線で、モディリアーニは自分の感情とモデルの心情を表現しています。

 

この肖像画のモデルは、無名だったモディリアーニの芸術に共感し、その才能を信じてくれた画面のズボロウスキーです。この作品は、二人の友情の証であり、死期が近づいた画家が最後に残した傑作の一つです。

 

1916年、32歳だったモディリアーニは、友人である画家キスリングの紹介で、27歳の詩人ズボロウスキーと知り合います。 結核に苦しみ、体が思うように動かないこと、そして作品が評価されないことに悩んでいたモディリアーニは酒や麻薬に依存していました。

 

しかし、モディリアーニの作品に感動したズボロウスキーは画面となり、この無名画家に自分の夢や人生を託しました。若き画廊はモディリアーニにアトリエを提供し、毎月の給料を渡すために封筒に宛名を書いて小遣いを稼ぎ、服までも売ってしまいます。 その妻アンナもモデルとして協力しました。

 

真のパートナーを得て、精神的に安定したモディリアーニは、創作に集中します。

 

画家もまた、この出会いから死ぬまでの3年間で、その代表作となる多くの作品を描き上げ、画商の友情や熱意に応えました。

 

そして、1919年、画家は死が近いことを感じたのか愛する人だけを描くようになった。 愛妻ジャンヌ、親友ルニア・チェホフスカ、そしてズポロウスキーの肖像・・・・・・。 誠実な人物として、優しく描かれました。 その人生をモディリアーニの成功に捧げた画商の願いも叶わず、画家の死は、この絵が完成した数ヶ月後に訪れました。

 

 

ティントレット『この人を見よ』

 

作品名 この人を見よ
作者 ティントレット
制作年代 1546年 - 47年
寸法 109×136cm

 

ティントレットの初期の作品で、16世紀後半のヴェネツィアで劇的な表現で人気を博したものです。

 

キリストが磔刑に処される直前の、切迫した場面を描いています。

 

ローマからユダヤを統治するために派遣された総督ピラトは、キリストを無罪と認めて釈放しようとしたが、死刑を要求する群衆の圧力に折れてしまいます。

 

階段の上に立つピラトと捕らえられたキリストが、画面左下に集まる群衆を見下ろしています。対角線上に配置された人物が、緊迫感のある瞬間を表現しています。

 

 

ルノワール 「花を持つ少女」

 

作品名 花を持つ少女
作者 ピエール・オーギュスト・ルノワール
制作年代 1888年
寸法 65 × 54cm

 

少女像は詩人カチュール・マンデスの娘エリオヌの肖像です。 1880年代に入ったルノワールは、様々な画法に挑戦しました。

 

人物画では、一時期古典主義的な「アングル風」の手法を採用しましたが、この作品は印象派の画風に戻っていることがわかります。

 

さらに色彩の鮮やかさからは、18世紀フランスのロココ絵画とのつながりも見出されています。